転職後の年収大幅マイナスから復活するまでの軌跡

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昇進と昇給イメージ

私が今勤めている会社に再就職してから随分経ちました。
当時はまさか長年勤めた会社から退職を余儀なくされるとは思ってもおらず、よもやの出来事に右往左往したことが思い出されます。

大手の看板を失ったアラフィフ会社員を好条件で採用してくれる奇特な会社などなく、再就職を果たしたものの収入は大きく落ち込みました。

そこから頑張って収入面では無事復活を果たしました。ほんと運がよかったです。
今回はその軌跡を辿ってみたいと思います。

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人生の転機。リストラで希望退職に応じる

私が今の会社に転職する前に勤めていた会社は結構大きなメーカーのグループ会社でした。
給与水準もグループのトップには及ばないもののまあまあの水準ではありました。
(今の会社に転職してから気付いたんですが。)

新卒以来約30年を過ごしたその会社。
最後の方はリストラの連続、給与カットなど厳しいものではありましたがそれでもそこそこの収入はありました。
まあ、親会社にぶら下がっている恩恵でしたね。

しかし、親会社も黙っていません。
折しもリーマンショックで日本経済に大ダメージが有って数年後。
赤字を垂れ流す子会社にとうとう引導を渡す時が来ました。

最後に支援するからリストラをせよ。
要は積み増し退職金などの資金は用意するから社員の数を大幅に減らしなさい!ということです。

で、ついに会社は希望退職の募集に踏み切ります。募集人数は全社員の1/3。
私はどうするか悩んだものの結局退職することにしました。

心配する妻に私は根拠のないことを言います。
「このまま会社に残っても存続するかどうかは怪しい。
 転職すれば一旦は給与が下がるかもしれないけど頑張れば上がる可能性もあるんじゃないかな。」

こうしてアラフィフで無職となった私。
苦難の末新たな会社に再就職を果たす事になるのですが、そこには想像以上に厳しい現実がありました。

再就職の初任給は大幅な年収減

社会人になって初の無職というものは想像以上に厳しいものでした。
そしてアラフィフの転職活動もしかり。

一緒に退職した同僚たちは若い順に再就職が決まっていきます。
何度も心が折れかけましたが、妻もいますし子供たちは当時中学生。

これからお金がかかる年齢です。折れるわけにはなりません。
そして何とか再就職を果たすまでに半年ほどかかりました。

さて、何とか再就職を果たした訳ですが条件は厳しいものがありました。
転職活動の際に色々助けてもらった支援会社の担当者からは

「自分の希望条件を全て満たすことは出来ないです。
ある程度妥協することが大事ですよ。」

と最初にくぎを刺されていました。

私の希望と言えばささやかなものです。。。と当時思っていました。
・出来れば自宅から30分程度で通える立地。
・多少は勝手の分かる製造業。

それと、なんと言っても譲りたくない条件。

それは収入。

当然、再就職でいきなり年収アップなど望めないことは覚悟しています。
しかしその覚悟は正直1割減程度で納まるんじゃないかと思っていました。

現実は残酷です。

アラフィフでさして突出したものがない私にそのような条件の良い転職先などある訳がありません。

それを思い知りながら転職活動し何とか採用されました。

その会社は製造業。
通勤時間は片道30分弱。ここまでは希望通り。

しかし、肝心の給与面は甘くはありませんでした。

基本給は結構削減されました。
そこにさらに追い打ち。入社1年はボーナスの支給がなし。

という事で前の会社を退職したときから年収ベースでほぼ半減という厳しいものでした。

まずはこのレベルからの再スタート。
その当時はこの状況だと元の収入を定年までに超えるのは到底無理!と絶望していました。

入社2年目から少しづつ昇給する

アラフィフで新たな環境で働くということは結構しんどかったです。
最初の1年はかなり心身ともに疲弊しました。

ようやく慣れ始めた頃に初めての昇給時期がやってきました。
オーナー企業の中小企業ですから考課の基準があると言えども社長の心証が結構効いてきそうな昇給額。
最初の1年は大人しくしていましたが逆に言うと目立つこともなかったということになります。

果たして昇給額はどの程度か?

入社2年目:3,000円アップ
入社3年目:5,400円アップ

全社員1から2%程度の昇給ということでまあそれからすると平均より少し上といった感じの金額でした。
ただ、2年目からはボーナスの支給もされるようになりましたので年収では前年より結構上がったことになります。

ただし前職から大幅に下がっていることには違いないのですが。

課長になって役職手当がポンと上がる

その後の昇給額
入社時、管理職待遇ということで基本給のうち訳に役職手当があり、金額としては3万円付いていました。
ただし残業手当はつきません。管理職なので。

入社して4年目この「管理職待遇」という曖昧な肩書からはれて「課長」になりました。
やっている仕事はそれ程変わらないのですが給与面では結構変わります。

課長手当:5万円

年間の昇給額が数千円という状況では役職手当で2万円アップは結構でかい。
ということで役職手当と昇給を合わせると結構上がりました。

4年目:基本給4,500円、役職手当と合わせて計24,500アップ

ボーナスにもこのアップ分は効いてきますので年収も少しづつですが上がってきています。

この段階で前職比3割減まで持ち直してきました。

この段階で分かったことがあります。

「これは昇進しないとどうにもならん。」

これ以降責任と昇給のはざまで悩むことになります。

部長になって給与交渉してみる

課長になってグッと上がった基本給。
その後は通常に戻り通り地道に昇給していきます。

5年目:2,100円アップ

こうして迎えた6年目ついに部長への昇格の打診がありました。

よく頑張った、自分!

ここで私は勝負に出ます。
アラフィフで採用された私の基本給は生え抜きの社員と比べたらかなり基本給が低いのではないかと感じていました。薄々ですが。

そこで社長に交渉を持ち出します。

「私が部長になったとして、もちろん部下より給料は高いんですよね?」

「えっ?役職手当は8万円に上がるけど。。。それではあかんか?」
あかんに決まっています。

こうして交渉の結果役職手当で3万円。それに加えて基本給を4万5千円アップを勝ち取りました。

6年目:7万5千円アップ

やはり出世したことで大幅な収入アップが実現できました。
この段階でようやく前職の給与水準にほぼ追いつきました。賞与含むとあと一歩といった水準です。

でも昇進もこれ以上は見込めないだろうし、ここまでか。
いや、まだまだあります。

なんと役員になって役員報酬をもらう。

部長になって昇進も頭打ちになるし昇給も頭打ちかな?と危惧していましたが部長2年目は結構昇給してもらえました。
部長の仕事ぶりが認めてもらえたのでしょうか。

7年目:2万5千円アップ

この段階で前職の収入を上回っています。
当初の目的を満たすことができほっとしていた私に驚きの打診が来ます。

役員就任です。
使用人兼務役員ということで会社員の立場も保有した状態で役員にもなるといういいとこどり。
立場は取締役部長ということで役員の象徴「取締役」が冠されました。

これで大幅に収入アップでは!
そうは問屋が卸しません。

役員報酬10万円。ただし部長手当は無し。
ということは
10万円(役員報酬)ー8万円(部長手当)=2万円のアップ
ぬか喜びでした。ただ、使用人として貰える給与でも4万5千円アップと結構昇給してもらえました。

これら合わせて8年目の昇給は、

8年目:6万5千円アップ

そして9年目。役員2年目の報酬は?

そうして迎えた令和4年。
この会社に入って9年目に入ります。
役員としては2年目です。

ここで朗報です。
この1年間の頑張りが認められたのか役員報酬が見直され、親会社に認められました。

そのアップ率なんと100パーセントアップです!

額でいうと10万円が20万円になっただけですが。
倍額というインパクトに対して少し迫力に欠けます。

でも10万円アップはありがたい。
年収で120万円もの増収です。

しんどい役員の仕事を頑張ってきてよかった。
そして退職時妻に言った言葉が実現できました。

「いずれ前職の年収を超える」

妻も喜んでくれました。

前の会社を退職し一旦大幅な年収減から足掛け8年で年収アップを果たすというジェットコースターのような50代を過ごした私。

定年までもう少しですが、やはり収入がそれなりにあると残りも頑張れそうです。
え、役員なら定年はないのでは?って。

そこまで働くのはしんどいなあ。
働かないとダメなのかな?
定年まで残すところ3年ほど。
増えた収入で運用して何とか定年退職の漕ぎつけたいです。

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